日向鉱山跡7-⑦

それは・・・

繁栄の跡・・・

その鉱山は・・

時代に翻弄され・・・

そして・・取り残されていた・・



*探索日2016年10月11日*




あれは何だ!!(゚Д゚;)??

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家屋が残ってる!?

行ってみよう・・が・・どうやって行く?

・・・この斜面を登るか・・

(;´Д`)ハァハァ・・ハァハァ・・



あああああ!!!

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これは!!!??(゚Д゚;)


・・・・これは・・・・
どうやら学校らしい・・といっても一度も子どもたちが学ぶことがなかったらしい・・

日向鉱山は昭和20年頃に閉山したと言われている

一時は銅などが採れてかなりの繁栄も有り・・学校をつくることになった
そして完成したのがこの校舎・・

しかし・・完成した年は・・昭和20年・・

そう・・閉山した年・・・

結局使われることなく・・そのまま廃校となったという・・・


すごいな・・・けっこう大きな建物だ・・・
じつは・・事前にネット上で見た時は・・建物の形は残ってた・・

しかし・・2016年10月・・・
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半壊してる・・・(´・ω・`;)・・・

老朽化と雪の重みのせいかな・・・・
と言ってもこの山深いところで70年以上手入れもされてないで残っているのも
すごいことだけど・・(*´Д`)・・・

左にあるのは教卓かな・・

ちょっと怖いけど中に入ってみよう・・・

床はさすがにギシギシしていて・・おっさんの重量で抜けそうだ・・

ゆっくり慎重に・・

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ここは・・メインの教室だろうな・・・

そして・・・ここが

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廊下か・・・

振り向くと・・

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トイレだ!!ちゃんと大用と小用があるぞ!!

そして・・奥の方にもう一つ部屋があるようなんで
外から周ってみる

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ちょうど部屋と部屋の継ぎ目付近が壊れたのか・・

おおお!!ここは!?

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綺麗!!

壁には窓枠が立てかけてある
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ここは・・・多分職員室になるはずだったんだろうな

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職員室から外に出ると・・来たときの反対側に行けた

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おおお!!ここからだととっても良いぞ!
(*´Д`)ハァハァ

ここで・・子どもたちが学ぶはずだったんだな・・・

・・・・いったい最盛期には何人くらい住んでいたんだろう・・・

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帰宅後に図書館とかに行って調べてみたけど・・・
日向鉱山に関する資料はなかなか見つからなかった・・・・

でも「栗山村史」に少ないながらも・・書いてあった・・



この場所は・・歴史的にはかなり昔から銅が採れたようで・・
近くの山に・・そうとう昔に銅を精錬した跡が残っているそうだ・・
伝承では・・日光東照宮の修理にその銅を用いたと言われているらしい

そして・・・

明治20年・・・日向鉱山は鉱山の採掘権を登録して以来、金や銅(銅が中心)の重要な鉱山として何回かの
中断を経て戦後まで採掘が続けられていたようだ

(・・・銅は取れてたと聞いたが・・金も採れてたんだ・・石とか持ってくればよかった・・)

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しかし・・戦争が激しさを増してきた昭和18年には鉱業権が鉱業財団に裁判所の命令で移転
させられた・・・これは当時の国策で財団の名の下に鉱業権を取り上げたものという・・

その後若干の採掘は行われたようだが・・・昭和50年には鉱業権が消滅しているという・・

(多分・・終戦が昭和20年なんでこの頃にはほぼ閉山だったんだろうが・・昭和50年まで鉱業権は残ってたんだな・・)

戦前の昭和10年頃の最盛期には6~700人の人たちが働いていて小さいながらも診療所などもあったらしい

この日向鉱山は硬い岩が多いようで・・削岩機が導入される以前・・ハンマーとタガネの手掘りの時代は
タガネのもちは悪かったという・・しかし硬い岩が多く坑道があまり深くないぶん坑道は安定していて
落盤したことはなかったらしい・・

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ここに・・索道の機器類があったが・・ 索道のことも書いてあった
(足尾の辺りでもそうだが索道のことを鉄索と呼んでいた)

鉱夫たちが掘った鉱石は雑夫(トロッコ屋よも言われていた)がトロッコに積んで坑道から外に出す。トロッコは鉱石を選考場に持っていき選考夫(主に女性)が降ろされた鉱石を何十人も並んでハンマーでより小さく砕き鉱石と岩石を振り分け鉱石は叺(カマス)に詰めて岩石は捨ててしまう・・・

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あのシンボルとも言える粉砕機は・・選考婦のしごとを機械化したものだったんだろうな・・
ちなみに叺(カマス)とは穀物・塩・石炭などを入れるための、わらむしろの袋のこと

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叺には30kgずつ詰めて鉄索(索道)で日向地区までおろし・・戦時中には日向地区から川治の小網まで鉄索(索道)が延長されトラックで搬出されてたらしい・・

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(大正時代の地図)

鉄索(索道)敷設以前や鉄索が壊れた時は馬で運ばなくればならず・・選考婦がある程度鉱石を叺(カマス)に入れた頃を見計らって日向地区の人々はお昼を食べてから馬2~3頭で日向鉱山に上がり叺(カマス)をつんで日向に戻って一泊・・次の日は小網までの往復で都合2日間かかったようだ・・しかしこの手間賃はかなり良かったらしい
(*´Д`)。


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ちなみに給金は雑夫や選考婦にくらべて仕事がきつい分鉱夫が一番多くもらえたようで
けっこうオシャレなどの贅沢もできたらしい・・
また日曜は特に忙しくない限り休みだったが特に遠くまで出かけることはなく 飯場で休むことが多かったようでそのため飯場には店があり缶詰から酒までなんでも売っていたらしい、また時々今市などから行商の人が来ていて衣類など様々なものも売っていたようだ・・

また新聞は日向地区までは配達されていたが鉱山までは鉄索(索道)であげていてそのために一日遅れの新聞だったという。。




日向鉱山・・深い・・・(*´Д`)・・・深いよ・・・




さて・・話はもとに戻り・・現在・・日向鉱山跡・・

時刻は11時30分

そろそろホームシックになってきたんで帰路につくが・・

行きに2時間以上かかったんで帰りもそのくらいかかるはず・・(´・ω・`)

崩落地点を・・震えながら通り
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幾つかの暗渠シリーズをゼイゼイ言いながら渡り・・
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更にがけ崩れ地点を乗り越え
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時刻13時30分

無事に駐車地点へヽ(`▽´)/!!

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疲れたけど・・最高だった・・(*´Д`)
たどり着くのは一苦労だけど再訪したいもんだ(*´Д`)


日向鉱山・・・

日向の共同墓地には明治時代に日向鉱山の役員だったと言われる方の墓があるという

明治28年8月14日に亡くなった山口久松氏の墓で大坂府の藤波安太郎氏が秋田県の柳屋梅太郎氏と
地元の世話人山越新平氏とで明治28年12月に建立したことが墓石に刻まれているという・・











おわり
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by mimoru68 | 2016-11-06 20:05 | その他