塩原旧道5-③
それは・・
江戸期の道
不鮮明な道に翻弄されながら
おっさんは1つの古い石碑に出会う・・
*探索日2017年2月27日*
少し藪っぽい道を・・
ゆっくり進んでいく
むう・・・?・・・
・・・なんだ?・・この感じは?
これは・・戦場の・・匂い??・・
はうっ!!?(゚Д゚;)!!?
ブービートラップ!!!??
危なかった・・もう少しでひっかかるところだった
傭兵経験がなければ確実に命を落としていただろう(大嘘)
・・しかしこれ・・
この環に入ったら締まってとれなくなる仕組みのようだが
何用の罠だろう?・・高さから・・イノシシ用っぽいけど
あ・・・ってことは・・
・・・イノシシがいるってことじゃねーか!!?
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
ううう・・・
なんかいつも野生動物に怯えてんなオレ
(´;ω;`)ウッ…
さて・・道はかなり不鮮明だが・・
なんとな平場っぽいところを進んでいけてはいる・・
一見かなりの山奥風だが
近くには民家があったりして
それほど奥地ではない・・
実際100mも下れば国道400号線に出られるレベルだ
それにしても・・倒木が多いし
なんだか本格的にわからなくなってきたなぁ・・
イノシシとかに出会うのも嫌だし・・
このまま民家の脇を通って帰ろうかな・・
(´・ω・`)・・
うん・・道っぽくなってきた・・
あれは?なんだ?
石碑!!??(゚Д゚;)
これは・・・
馬頭観音!!??(゚Д゚;)
古い文字だが「馬頭観世音」と掘ってある
「馬頭観音」は・・
馬が移動や荷運びの手段として使われている頃 亡くなった愛馬への供養塔として
祀られたものだが、山道などの交通の難所、追分など。道標を兼ねたものも多いという。
・・・そしてこれも道標を兼ねたものだろうか?・・
傍らには・・
石仏もおかれているけど・・
教養のないおっさんには・・なんの石仏様か不明・・
そして・・この馬頭観音・・いつ頃建てられたのか?
それがわかればこの道の歴史も少しわかるはず
そっと横を見ると・・
安政二年だと!!??(゚Д゚;)!
っていつだよ!?安政って
(´・ω・`;)!!??
調べてみると・・・今からざっと162年前の西暦1855年
時代は江戸時代・・13代将軍 徳川家定が納めていた時代・・
ちなみに一緒掘られている「乙卯」(きのとう)はこの年の干支で
3月と掘られてはいるが・・多分旧暦で・・現代の暦だと4月ぐらいだと思われる
(何故か乙が小さく少しはずれて掘ってあるのは こうゆう書き方なのか・・忘れてしまって後から掘ったのか・・。もし忘れて後から付け加えたならそのドジっ子具合に萌える♥)
つまりは・・この道・・・
おもいっきり江戸時代には存在していた道!!
塩原新道が出来るはるか前からある塩原温泉への道ってことか!
よっしゃ!!テンション上がってきたぞ
そうだ・・反対側にはなにか掘ってあるのかな?
・・・うーん読みづらいが・・
「願主 惣村・・」かなぁ・・下の方は読めないが
惣村は・・昔の農家の共同組織・・つまり自治体みたいなものらしい
このあたりの自治体で祀った石碑なんだろうな・・
うーむ・・しかしカッコイイ石碑だ・・
これに出会えただけどもここに来た甲斐があるってもんだ
(´;ω;`)ウッ…
よし・・どこまで続いてるかわからないけど
先に進んでみよう!!
つづく
by mimoru68 | 2017-03-07 09:00 | 廃道